長いタイトルですね^^;
どうしても伝えたかった内容です^^
あなたは、
この2人を知っていますか?
カーネルサンダース
(引用:ビジネス+IT)
そして
伊能忠敬
(引用:伊能忠敬e史料館)
このお二人、
私は要所要所で思い出しては
勇気をもらっているんです。
その理由をお話しますね^^
まずは簡単にそれぞれの方の功績を紹介します^^
①カーネルサンダース
言わずと知れた、
ケンタッキーフライドチキンの創業者です。
店舗の前には、
彼の人形が広告塔のように立っていますね^^
カーネルは、たくさんの仕事を経験したことも有名です。
鉄道員、弁護士助手、保険営業、
タイヤ販売員、蒸気船運航会社、
ガソリンスタンドの経営など、
その数、なんと30!
一生懸命働き、
トップセールスマンとして活躍をしていましたが
環境の変化や世界恐慌、事故、
破産や借金で、何度も職を失っているんです。
失敗や危機に遭遇しても
不屈の精神で立ち上がります。
それから紆余曲折あり、
借金を返して無一文になったカーネルは
フランチャイズビジネスを計画します。
オリジナルの「フライドチキンのレシピ」を
1軒1軒回って売り込みます。
その時カーネルは65歳。
しかし、なかなか売れず断られ続けます。
断られた数は
驚きの1,009回!
100回断れて立ち上がるだけでもすごいのに
その10倍以上断られています。
必死の努力が実を結び、
ケンタッキーフライドチキンコーポレーションを
設立した時、カーネルは御年67歳。
その後、会社は拡大し、
アメリカで200店舗まで拡大した時には
カーネルは70歳になっていました。
その時に、カーネルはこんな言葉を残しています。
「65歳になった人なら誰にでも、
積み上げてきた経験というものがあります。
山もあれば谷もあり、人生には試練もあれば
辛酸をなめることも一度や二度ではないでしょう。
その経験から活かせるものがないはずはありません。
65歳までにあなたが手に入れてきたことを結集させれば、
きっと新しいスタートが切れますよ」
1980年に90歳で亡くなるまで、
カーネルは精力的に動き続け、
ケンタッキーフライドチキンの顔として生涯現役を通しました。
カーネルサンダースの生涯、
ものすごいですよね^^
②伊能忠敬
社会の授業で習ったのを覚えていますか?
日本中を歩いて測量して周り、
日本で初めて、「実測」による日本地図を
完成させた偉人です。
(引用:NHK for School)
忠敬は、1745年、千葉の九十九里浜で生まれます。
17歳で酒造業や金融業、運送業を営む
伊能家の婿養子になって、
伊能家十代目当主になりました。
事業は非常に順調に進んでいましたが
忠敬が50歳の時、
これまでの願いであった
「勉強を本気でしたい」という思いを行動に移します。
その行動とは、
✅長男に商売の全てを任せること
✅自分より20歳も若い高橋至時(よしとき)から、天文学と測量学を学び始めたこと
思い切りのよさと、
忠敬の学びたい純粋な思いが伝わってきます。
こうして学んだ天文学の知識を生かして
55歳の時、日本地図作成のために
全国測量の旅に出ます。
当時は交通機関などありませんし、
忠敬の測量法は全て徒歩。
日本全国を「歩いて」測量する、という
現代で置き換えても
途方もない目標を立てて
55歳の時に始めます。
55歳の時に出た一度の旅で
全てを測量したと思いがちですが、
実はちがいます。
55歳から71歳までの間に
10回にわたり、測量の旅を続けたんです。
忠敬の旅の年表はこちら↓
(引用;ベネッセ教育情報)
1811年から3年間の
長旅の時には忠敬は69歳。
全国を歩いて回る体力が
まだまだあったことに驚きです。
そして、残念ながら1818年、
忠敬は日本地図の完成を見ることなく
この世を去ります。
忠敬の弟子たちが意志を継いで
3年後の1821年に
「大日本沿海輿地全図完成」が完成します。
この地図、非常に正確だったそうで
その正確さは、現行の日本地図と比較して、
誤差は0.2%だそうです。
衛生もない200年前の江戸時代に
脅威の正確性を誇る地図を
作るために歩いた距離は
なんと地球一周分。
忠敬と測量チームの
強い思いがひしひしと伝わってきますね。
*
カーネルサンダースと伊能忠敬。
共通する点はおわかりですか?
それは、
「新しい挑戦に、年齢は関係ない」ということ。
学長がいつも言っていますよね。
「今日が人生で一番若い日」と^^
LINEの世界に限らず、
現代は進化のスピードが早く
追いつくどころか
ついていくのに必死で
あきらめそうになります。
そんな時に頭にちらつくのが
「年齢による言い訳」です。
🌀もう若くないんだし、諦めよう
🌀若い人が頑張るだろう
🌀この年齢で頑張っているって、なんかダサい
思っていなくても
頭にふと、こんな言い訳が
浮かんできちゃうんですよね。
でも、
65歳でフライドチキンのレシピを売り始めたカーネル
55歳で全国を歩いて測量の旅に出た忠敬
この二人の前では
年齢によるどんな言い訳も
無効化されちゃう気がします。
「若くない」は逃げの言い訳だと
私は自分に言い聞かせています。
むしろ、年齢を重ねたのだから
その経験が生きて
視野が広くなっているはずだ、と
プラスに捉えるようにしています。
確かに、40代、50代以降になると
意識しなければ体力が
どんどん落ちていきます。
でも、それは言い訳でしかない。
頭の中に年齢による言い訳が出てきたら
カーネルサンダースと伊能忠敬を思い出して
「いくつになっても
新しいことは挑戦できる」と
自分を奮い立たせています。
書いているだけで
興奮して呼吸が荒くなってくる
今日のマガジンになりました^^
最後に、
もう一つカーネルサンダースの言葉を
紹介して終わりにします。
「私には指針にしていた教訓がある。
人は“できる”とか“したい”と思う分だけ実現できるものだ」
強い思いは、年齢を超えてくるんですね^^
今日はここまでです^^
LINEを無料で初めるなら「エルメッセージ」
👇クリック👇